髪洗うたび流されていく純情 対馬康子
句集『純情』
髪を洗う行為は本来衛生の話だが、この句はそれが心情の話へと変わっている。
髪を洗うとき大方は生まれたままの裸であろう、シャンプーやすすぎ水が目に入らぬよう両目をつむることもあるだろう。
目をつむれば人の意識は内面に向かい、ともしれば自分の何かに ”目をつぶっている” 私を見つけてしまうかも知れない。
「髪洗う」は夏の季語なので、ある夏のシーンの俳句。
春の風苦しむ 鶏 ( とり ) を抱きにゆく 宇多喜代子 『りらの木』 むかし、宇多喜代子さんがNHK俳句の選者をしてらした時、兼題に投稿された多くの類句類想に対して、 「みな、私と同じような思いをしているのを見ると嬉しくなる」 と...